MENU

人が人を呼び、仕事が仕事を呼ぶ会社

カイシャ / これからのジョブ型雇用

ハケンの次章


カイシャのために人があるのではない。人のためにカイシャがある。


2020年のウィルス騒動から、人々は気づきだしているのではないでしょうか?

「あれ?今まで通りでなくても、働ける。」

と。今まで通りではないのは、「20世紀の就社」も同じ。かつてと同じ行動では我が身を守れない時代になっています。カイシャが悪いわけではありません。「そういう時代」ということです。旧来の因習に固執するのはそこにうまみがある人だけです。おかしいよね?には、勇気をもって変えていくべきです。2020年代は

カイシャから人へのルネサンス

が起こる10年かもしれません。

※ルネサンスとは、 「国王 / キリスト教中心の価値観から、人間や人間性が主役となる時代へ」とします。


20世紀に比べて、豊かになれる確率は半減している。そこそこのがんばりじゃ、今は食えない。


とある統計で、

 「1960年代は、子が親の世代より豊かになる率は90%だったが、2000年代は50%程度である。」

という数値が出ています。

戦前の財閥系商社の部長クラスは、現代価値に直すと6,000万円程度の年収だったようです。当時の産業別分布では農漁業、工業従事者が圧倒的に多く、知的労働者は少なく、身分固定も今より厳しく、情報も偏っていました。そのため「富の独占」が容易にできたのです。

そして現代、情報アクセスへの容易さと多すぎるホワイトカラーが成果と富を奪い合っているため「豊かになれる確率」は著しく低いのです。また、機械化、自動化、市場化によって各産業に人手が要らなくなっているため、単純労働者は世界規模の競争にさらされています。

「死・税・競争からヒトは逃げることはできない」

といいます。

富の連鎖によって、まったくスタートラインが異なるなか、現代の情報比較社会の中、どうやって豊かに生きるか我々は真の価値観を身に着けることによって息苦しさをなくすことができるかもしれません。

昔は産業分布の中でも第一次第二次産業が多く、「実際の人手が国内で必要」でした。しかし現代は、それら産業が吸収できる労働力は激減しました。また、かつて中間層が担った人手は要りません。

現代は、

  • どうしても人手がいるロースキル分野
  • 高度専門職の分野

の場面でヒトが必要だからで、中間層の空洞化が起きるのは必須なのです。

実際、その職位はどうなのか。

下記は、2020年のとある東証一部上場企業(情報通信系)の職位構成です。

上記グラフから…

  • 課長以上の管理職になる割合:ざっと 360 / 2600・・・約14%です。3割にとうてい届きません。
  • 部長以上の上級管理職の割合:ざっと 110 / 2600・・・約4%です。

ただでさえ少ない若手に、「希望を持て」というほうが無理がないでしょうか。競争からこぼれた「中年」の行動原理は想像に易いでしょう。

出自と学位にはほとんど目もくれず、肩書、職位に応じた賃金設計をし、年齢と序列ばかり重んじる日本の大手会社。なぜなら日本人の「服従の根拠となるメンタリティ」がそれを求めているからです。根本(価値観)が変わらない限り文化が変わるわけはありません。

管理職も、実態としてはその裁量や自由度は少なく、実務と責任ばかり押し付けられる「名ばかり管理職」「プレイングマネージャ」が多いのでしょう。「プレイングオーナ」ならやりがいもわかります。所有権のない人間(たとえあっても一部の株というマイクロ所有)に求めすぎるのは酷ではないでしょうか。

すべては採用から始まっている。ビジネスステージごとに、必要な人材は違う。

【職位ごとの役割】

経営層:戦略(取捨選択)目的、目標、戦略を決定し、人に宿らせること。
管理層:設計(成果を出すための各種デザイン)目標を把握、合意し、上に報告、下を動かし、達成すること。
実務層:遂行(オペレーション)実務を把握し、与えられたことをし、経歴、知見を積むことで加齢に応じた仕事の成果を出すこと。

s

職位(肩書)ごとに、人材の特性も違う。

何もやってないけど出世する。よくわからないけど地位が高い人間はいるものです。それは我々人間が原始から持つ「虚構を信じる力※」によるものです。それはもはや「理由はない、理屈でもない」ということです。下表、身もフタもない内容ですが、実態ではないでしょうか。

※「サピエンス全史」より

【職位ごとの特性】

職位 / 肩書 言葉の粒度 仕事の性質 カリスマ性 / 人間性 順法精神 賃金(※)
経営層 特大 市場 / 株主向け / 雇用者向けパフォーマンス
(創業者は異なる場合あり)
良しとされるが、たいてい大悪事アリ。
が、「そういうものだ」で社内外が片付いてしまう。
上位層ほど求められるが、結局は個々人のモラルや価値観、公欲私欲のバランス次第。

意味のないなれあい組織、か、
意識が高いが欲も強い組織か。
特大(自らがルール)
上級管理層
(部長)
業務設計、数値目標設定 「伝説の・・」の称号あり。たいてい小悪事アリ
が、「そういうものだ」で社内外が片付いてしまう。
中(次期経営層を見るため甘んじる)
下級管理層
(課長)
数字目標合意、
細部の業務設計 / 実行
実務を管理している側が、実は一番管理されているという事実。 特小(実働に見合わないことがほとんど)
実務層 特小 実行、マニュアル的、(公式には)無批判的。 もはや関係外 小(が、サービス業の末端従事者は搾取され続けている)

※仕事量比較。質比較はできないため

20世紀のメンバーシップ型雇用、21世紀のジョブ型雇用

2020年前後から「ジョブ型雇用」を採用、宣言する東証一部上場企業が出ました。 そもそも、日本の常識は海外の非常識です。社会 / 市場が拡大していた時の常識は、衰退に向かう時に矛盾が出ます。矛盾にフタをしながら進むことにはそろそろ限界がきているでしょう。

「オレもワタシもそうだったから」と若者に強いるのは美徳といえるでしょうか。
「メンバーシップ雇用」「ジョブ型雇用」2種類それぞれのバランスが必要です。

21世紀は職能型「ジョブ型雇用」の割合が増すと考えられます。 その2種比較の前に知っておくべき、3種のスキルをあげます。

ワークスキル・マネジメントスキル・ジョブスキル

下記、3種スキルのバランスが大事です。
ただ、マークシートに代表される詰め込み教育の結果、我々は社会に出る前に土台として身に着けるべき論述スキル、論理的思考、人文科学の教養が少ないです。

職位ごとのスキル力点

実務層はジョブスキルを求められ、経営層はワークスキルが求められます。

メンバーシップ型雇用の特徴

ヒトに、仕事(会社)をつけるタイプの採用です。

特徴 基準 / 傾向 メリット / デメリット 現実~これから
権威・全体主義的

集団主義的
  • 例外を認めない、上司上席が最重要
  • 隣の何某との同調
  • 統制のしやすさ
  • 残業、社外活動など、「皆がやっているから」というムード
  • 広範囲で硬直的な人事制度(年功的に職位を配る)
  • 副業禁止
  • 無用なジョブローテション
適応性重視の採用
  • 今あるスキルより、組織への適応性を見た採用
  • 既存の会社ルールに染めやすい。
  • 元気 / やる気 / 根気という精神論になりがち。
  • 幹部候補育成のしやすさ。
  • 内輪の活動、ムードになりがち。社外の空気を入れても希釈される
  • 社風を作る最大の原因だが、日本人を雇用している限り日本的になるのは仕方がない。
  • 高度専門スキルを持つ外国人は日本人の硬直的ルールにはなじまない。
ゼネラリストの育成 ジョブローテション
  • 多能工的スキルアップ
  • ゼネラリストの育成にはいいが、皆が幹部社員になるわけではない。
  • 社内に声が通る、声の大きいゼネラリストが出世する傾向。
  • 付加価値の高いスペシャリスト軽視傾向
仕事の傾向
  • 属人性が高い
  • 意味があるのかわからない因習
  • 変更するのに異常な労力がかかる
  • 皆で「おかしい」に気づき、「仕事を減らす工夫」をすれば皆で楽ができる。
転勤、異動 会社の意向、特定の重役の方針、差配、ルールに応じた人員配置
  • 長時間かかる知識経験や人脈の習得前に強制異動の可能性がある。
  • 無意味な転勤制度
昇進、降格

契約解除
上司 / 配属への依存度が高い 日和見が経済合理的な行動となる。
  • ヒラメ上司 / 社員
  • イワシ上司 / 社員
そうそう解雇はされない
  • 硬直的な賃金制度設計
  • 2割が他8割の利益を出すという宿命
※ヒラメやイワシのエサ代になる。(が、それらがいなくなってもまた生まれる…2:6:2の法則)
転職 転職率は低い
  • 会社に居残ったほうが経済合理的であるため。
  • 伝説的幹部と働かないオジサンの増殖

ジョブ型雇用の特徴

仕事(プロジェクト)に、ヒトをつけるタイプの採用です。

特徴 基準 / 傾向 メリット / デメリット 現実~これから
個人主義的
  • 成果が出る限り個人の働き方、環境を認める
  • 良チームの場合、管理工数は低いため、メンバリングに成否依存。
  • プロジェクトごとの人事制度
  • 副業許可
即戦力重視の採用
  • 今あるスキル重視の採用
  • スキルの見極めが最重要
  • メンバリングにプロジェクト成否はかかっている。
  • メンバーシップ型採用社員との協調(心情 / 感情の交通整理ができるルール設定)
スペシャリストの育成
  • スキル深堀りの徹底
  • 昔の徒弟制度の延長
  • よい師弟ができればいいが、スキル向上は個人の能力、努力にゆだねられる。
  • 次プロジェクトの紹介制度など、部署を超えた協調をして人材を確保し続ける仕組み
仕事の傾向
  • 定型的で標準化しやすい業務
  • 高度専門的
  • 仕事の切り出しができれば効果最大化
  • 各人をの成果を管理、クロスオーバーできる管理者が必須
  • 優秀なフリーランサー確保のための与信、契システムが必要(従来の中抜き制度を打破する)
転勤、異動

昇進、降格

契約解除
ない
エキスパート職として賃金だけの評価とする。
  • 職位と賃金が紐づかない賃金制度
  • 上意下達ムードが作れず、合意形成に時間はかかるが結果への精度は高まる。
  • 期待する成果がでない場合の契約解除権をお互いに持つ。
  • 挑戦的なインセンティブ制度
  • 解雇権の乱用とならないルール作り
転職 転職率は高い
  • 得たい経験の後は、次へとステップアップ
  • チャンスをつかんだ者は良い連鎖が起こるが、つかめない者のセーフティネットはない。
  • 希少人材の価値(唯一のスキルがある人間重視)

2つのバランス

組織として成果を出したり、カイシャの文化を醸造していく以上、一定の統制やルールも必要です。が、人材は社会の共有財産と考えたとき、村社会的な発想をやめたとき、他社・他者への素直な敬意が生まれるのではないでしょうか。

採用の二重基準をやめよう。

日本人は、「戦略」の決定が苦手です。戦略とはつまり、何かを選び=何かを捨てるということです。全方位戦略=すべて選択。は、「戦略」ではありません。

あれも、これも、それも、と機能満載の家電、リモコン、クルマ・・・

採用でもそうです。

リーダシップを!
いや、協調性が大事だよね…
とがった専門性を!
いや、どこの部署でも就業できる汎用性だよね…
多様性を!
いや、足並みそろえようね、空気読もうね…

こういった採用で構成人員の均質化 / 均一化をしておきながら、「チャレンジングではない」と嘆く組織が多すぎます。

彼の弱みがここだから、克服する教育をしよう。

ではなく、「弱みはほっておこう、他人に任せよう。彼 / 彼女の強みを最大限活かせる環境を作ろう。」というのが戦略で、ジョブ型採用の得意な結果です。マイナスをゼロにするだけの組織、採用・教育戦略では、プラスもゼロにしているのです。

勤勉、慮りがすべてではない。被害者意識のある加害者を生み出す連鎖。

戦後 / 昭和の時代・世代が生み出した日本人型労働観の結果、「生産性」はどうなっているでしょうか?サービス設計者が正しい取捨選択をせず、できず、 「お客様は神様」 という耳障りのいい選択、市場評判を恐れて過剰な業務設計をした結果、

サービス提供者としての疲弊が、消費側に回った場合の過度な要求という連鎖

になっているはずです。それはつまり「内輪での足の引っ張り合い」「過剰で無用なおもてなしという名の削りあい」ではないでしょうか?「被害者意識のある加害者」が一番残酷なのです。

降格 / 復帰人事ルールがない。

開戦国、戦敗国でありながら、「誰の責任も明確化しない、されない、裁かない。」
という非常にユニークなメンタリティを持つ我々日本人はカイシャでも

  • 降格
  • 復帰

の人事ルールがありません。一度ドロップすると這いあがるのが難しい社会性がお互いの降格、失敗を避け、ことなかれ主義、隠ぺいへとひた走らせるのでしょう。

本来、「 Job Description」「Job Agreement」によって明確な合意がある労働契約を結ぶべきなのです。

日本人がいくらイキっても・・・

ほんの150年前、鎖国をしていた時は世界と完全に隔絶された「チョンマゲ」民族でした。「文明開化」「脱亜入欧」のかけ声で一気に変わりましたが「戦敗国」という歴史上の事実は未来永劫変わりません。これから先、国際連合=United Nations=連合国群 の常任理事国になることはあるのでしょうか?

そんな我々がかつて国外に向けてしまった狂気を、今は国内に向けてしまっていないでしょうか。日本人が日本人に向けていくら威張ってもしょせん、世界から見るとネ・・という諦観は持つべきでしょう。

高次元で美しいが、非効率。この先どうなるのかを考え、実現する手段がカイシャ。その先に、国。

日本の棚田、千枚田など農村の風景は美しいものです。が、その収益性、生産性はどうでしょうか?

日本語も同様で、世界一高度で(かな、カナ、漢字)、情緒や表現性に富んでいます。 ただ、俳句、短歌、茶道など芸術用語にはふさわしいですが、ビジネスに必要な解釈の実用性、効率性には欠けています。 もちろん先人偉人たちの日本語への努力によって「他国言語を母国語としなくてよい。」結果とはなっています。 その結果この国は、「言語的封鎖によって、非常に過ごしやすい国を作り上げた」といえるでしょう。 が、折り返しを過ぎた人口に伴い、広げてきた風呂敷をたたみだすべきこの時代、外国人観光客には支えられても内需には期待できない市場の低迷、縮小時代、どのような産業がこれからの日本人に必要なことでしょうか。

我々の意識/行動の一つの結果が、カイシャという組織です。 カイシャ自体に実態はないのです。概念だからこそ、価値観、考え方が最重要です。

派遣の次章トップへ戻る