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Replog!大阪のITサービス会社Rep1代表のブログ

二面性

2025.11.01 カテゴリー: OFF・食

今回も「あぁ、英語ができないというのはこんなにつまらないのか・・・」という「陽気な言語、英語」の洗礼を浴びまくった。
 
中国にいって中国語ができない、わからないのは「不便だな。」だけで陽気になることはまずない。尋常じゃない加飾ライティングやスケールなのだが同じ儒教圏、漢字、ピンインの限界、どうにも暗く、とってつけた感、ムリがある+少しの西洋コンプレックス。と言っても中国で嫌な思いをしたことは一度もない。
 
今回の旅で唯一イラつかせられたのは、往復アメリカ系エアラインの担当日本人CAどもだった。毎度妙に上から目線で話しかけられるというか、エコノミーだから見下されても仕方ないというか。帰国後、加州で活動する日本人弁護士(日本資格もアリ)に聞くと、
 
日本人の移住・在住者は基本そこまで仲良くない。中国人、ベトナム人などは入植地で同化しようとしないが、日本人はする。つまり「同化率の多寡、在住の長短、英語の練度でマウンティングをかけてくる。」と。そのリアルな体験談もあいまって納得。「底意地の悪さ」が出るんだよなぁ。かくいう私もそうなのだろう。
 
ただ私は「アメリカ礼さん者」ではない。むしろ「とんでもない国だ」と思っている。原爆投下、WW2以降のマッチポンプ・・・良くも悪くも世界と世界史における「サプライズ・イベント・トレンド仕掛け人」であることは間違いない。ざっくりスクールカーストにたとえるなら
 
・リーダシップ、正義感あり、陽気で時にめんどくさい人気者:アメリカ人
・家柄もよく、なにかと理系で気難しいイケメン:ヨーロッパ人(ロシア含む)
・田舎者ヤンキー。つるみがちでファッションも変わってるが、実はマジメで勉強も超できる:中国人
・お調子者でアバウト。祭り好きで憎めないが、実はとても残酷な人たち:ラテンやアフリカ
・気弱でプロムにも声がかからないが、平和主義で独自の尖ったモラルとオタク文化を作っちゃう:日本人
まんまゴレンジャーだ。
 
本当に疑問なことがある。人類は平和を願ってやまないが、実際にそんなことになったら「クソつまらん!」となるに違いない、と。
 
皆が平等で均等。不満も不足も差別もない世界なんて面白いのだろうか?感動した!ホッコリした!ニュースの毎日で市民は毎日うれしいのだろうか。なので結局戦争や事件事故は人類の宿痾の中でのヒマツブシ。その主たるイベンターたるアメリカ、やはり宗教の影は大きいだろう。
 
ユダヤの異端、としてのキリスト教
キリスト教(カトリック)の異端、としてのプロテスタント
聖書を根本とするプロテスタントからは多様な宗派が生まれている。
ピューリタン=プロテスタンティズム=聖書を信じ、自分たちが神の子の子であり、常勝民族という基本姿勢。確か彼らの行動原理は「質素、純粋、勤勉(=蓄財or浄財or投資)」とかだったはずだ。だから強い指導者を望み、勝者をたたえる。が、自分たちの利益が害されるマイナス局面になるととたんにエゴが牙をむく。先の弁護士も触れていたが、「二面性はアメリカ人のほうがひどい」と。
 
これが八百万の仏教・儒教の場合、質素+純粋という宗教と相性がいい2項目はともかく、経済活動において「なんで一人で?」とネタミ、ソネミが勝ってしまう。「だったらオレも」と足の引っ張り合いが起きる。一神不在ゆえの紛争で、当然だろう。日本の政治でもそうで「オラが救世主!」とか能力はないが意識は高いヤツがやりたがるもんだからろくなことにならない。このテック時代、政治家っているの?だが、政治も宗教の一種だ。そもそも”police”を語源とするのに、”政治(祭りごと=祭祀)”という日本語意訳が完全に間違っている。政治=なにか霊的で尊いもの?国民はそれにとらわれている。
 
大統領就任で、聖書に手を置いて宣誓する国
首相就任で、天皇から任命される国
 
なお私は一切宗教を信じていないから寺社仏閣に行くことも一切ない。神や仏は絶対に、絶対に自然人として実在しないし、自然科学を超えた逸話などもありえない。が、それらが人々の概念、定義、信仰によって「存在した、する。」というのは理解できる。会社=法人みたいなもので、思い込み。それ同じで、世界の大多数が「ある、いる。」と言っている思っている以上、それを覆すことは不可能だ。人間というのは根本的に「信じたい=支配されたい」生物なので信仰者に対してはなんの思いもないしかかわることもない。
 
深層でアメリカ(ポップカルチャー)や中国(言語や渡来仏教)に支配され続ける一般的日本の状況から
 
国民性は言語特性+国土の広さ、特徴+共有した歴史的運命+宗教的背景
 
によって作られることをあらためて実感する。が、昨今の日本での、
 
・言葉狩り(かしこまりました、承知しましたとか表現を尖らせることが優位であるという勘違い)
・ろくにカネを払わず、要求ばかり(低単価での同胞イジメが悪循環を作る)
・どーでもいいことに右往左往し、何も進まない(制度設計の甘さ、こらえ性の無いスクラップ&ビルド)
・猿真似の先鋭化(マネと後発だからとにかく厳しくしておこう。という哲学のない横並び主義)
・パスポート取得率17%!(外を知らない、知ろうとしない人々のイキリ)
etcetc
 
道徳原理主義にほとほとウンザリしている。欧州には
 
地獄への道は善意で舗装されている
The road to hell is paved with good intentions.
 
ということわざがあるが、この市民たちが勝手に自己滅殺という家畜化、自縄自縛のもがきの状況で
 
「は?知らんがな。関係ないしほっといて。」
 
と別軸で腹をくくって生きるのは楽ゲーだったりする。が、アメリカだと皆が自由で、その主張ゆえの衝突(とにかく欧米人は極論から極論に走りすぎ!)が起こって仕方がないわけで毎日がサバイブとなる。NY州弁護士でもある当社顧問弁護士(大学同窓、成蹊大卒の奇跡のキャリア、)に勧められていたのでUCLAキャンパスを”ただただ見た”。
キャンパス内でNAVYのイベントやってるとか日本じゃありえません。
 
いや~こんなとこに通って卒業してたら、親に貸しを作りまくったうえで、意識とプライドが高い
 
文系リベラルクソ野郎
 
になったんだろうなぁ・・と嘆息。かつてアメリカは、「The Best and the Brightest」というクソエリートどもによってベトナム戦争へと突っ込んでいった。誤った指示による、現場からの作られた報告や数字をうのみにして。市民は「ベトナム?どーでもいいでしょ」なわけだがクソはそれを許さなかった。が、キャンパスのアジア人には違和感がある。アモイで双一流の国家重点大学、アモイ大学の学生を見た時は頼もしかったが、USにおいては違和感でしかない。つまりは容姿なのだが、アメリカには黄色、小柄、メガネはやはり合わないな。
 
ともあれこういうところで「世界のクソエリート」が量産されるわけで日本の大学(学士卒というなんちゃって学位と学校名による競争)など超・リーズナブル。世界においてなんの影響力もない。理系を大事にせずにFランなどはガラパゴス日本でのメクソハナクソ紛争。
 
英語もほとんどしゃべれなかったオーストリアのボディビルダーの移民1世が30余年後に州知事になったり、ポーランドからの移民1世が陸軍大将(ジョン・シャリカシュヴィリ氏)になっちゃうなんて、日本だと絶対に、絶対にありえない。おそらく中国でも。何もかもが根本的に違うのだろう。
 
当たり前だが、SES業である私の周囲に”クソエリート”は存在しないし必要もない。IVY出てこの稼業やってたらバカだ。教育投資と効果をまったく回収・発揮できないわけで。エリートがどれだけキレイごとを吠えようが、社会はその層によってその交流や価値観、行動原理がキレイに分断されている。大阪でさえ、北摂と泉南では人種が違うくらいの差を感じる。
 
そう、東京と大阪では本来、民族が違うのだ。その距離550km。欧州に当てはめてみよう。仮にパリ・エッフェル塔を基準にするとざっくり
 
to ロンドン(500km前後・・・東京~京都間)
to アムステルダム(500km前後・・・同)
to チューリッヒ(600km前後・・・同~大阪/神戸間)
to ベルリン(1100km前後・・・同~福岡/札幌間)
 
であり「日本民族という一枚岩」であること自体がおかしいし、あやしい。なお今回、宰相が「女+関西出身」というのは国民が考えている以上にエポックメイキングなことだと思っている。かつ、現実重視の神戸大(さすが旧三商大)卒。かつて
 
人財!
 
とかいうめまいのする言葉が流行りだしたとき、神戸大学の三品和広教授は「人に財も罪もないわ!」と看破しているのを読んで、「そうだよね!」と安ど。楠木健教授の著作も読んでいる。「エンゲージ」とか「パーパス」とか。この国には上滑りの言葉遊びばかりして仕事をした気になっている亡国の私大文系卒のホワイトカラーが多すぎる。私もそうで、情けない限りだ。
今年作った4コママンガ
 
個人的には「プラグマティックな商都大阪が首都だったなら太平洋戦争は起こらなかった」と信じて疑わない。
 
クソエリートに対する出自や努力、才能、希望へのやっかみ?私は羨望、嫉妬はしないタイプだが、UCLAよりそのすぐ近くの大邸宅街(ビバリーヒルズ含め)にまた嘆息。気候にしても「これほどまでに抜けているのか・・」と愕然とした。もちろん、どちらがいい悪いでもない。つまりはベクトルの違いなのだ。書いたように
 
アメ:水平志向
日本:深化志向
 
街を見ていても、陽気さの裏にある極めて残酷な労働事情や社会事情
 
・エリートのとんでもない競争社会
・バカ高い学費の大学を出たところで割に合う職業につけるか
・多すぎるセキュリティ(おそらく低賃金)
etcetc
 
は垣間見えた。つまりは低層業務の広さ、多さ、妙な明るさ+それを担う特定民族や労働者層があってのエリート社会。
 
ただ面白いのが、カネ持ちも貧民も彼らは本当に服や持ち物(時計、カバン etc)に無頓着なことだ。ブランドショップなど、LAのロデオドライブかベガスの特定ホテルでのモールぐらいでしか見なかった。日本のように百貨店ごとになどありえない。
 
「あ、この人たちは違うね。」
 
というのはロデオドライブの常連ぽい人だった。日本人、中国人のように
 
ブランドで虚飾する人々
 
は皆無。むしろそんなことしてたら
 
・バカ
・襲われる
 
だけなのだろう。あと、アメリカでの街角での美人率は極端に少ない!ことが断言できる。私はたまに自転車での移動中「美人カウント」をしているがだいたい1/30~50で「美人やな~」がいる。これは標準偏差でも明らかでざっくり
 
偏差値70以上:2%
同60~70:13%
同50~60:35%
 
の分布となり当たり前のことだ。都市部にいることもあるだろう。が、今回の旅では明確に2名しか美人は見なかった。
・ロデオドライブでのモデルっぽい人
・ダイナーでのウェイトレス
つまり1/500~1,000程度ではないだろうか。私が美人が多いエリアやスポット(つまりは収入と能力分布)にアクセスできていないだけなのだろうがその点でも
 
居住域での明暗
 
をクッキリ感じる。中国の場合は、アメリカとほぼ同じ国土に、ざっと4倍以上の人間がいるわけで、そらゴチャゴチャするだろう。日本の場合、可住域(国土の30%程度)への人口に対して都市計画が壊滅的になるのは必然と言える。そして今は老人だらけという恐ろしい状況だ。右を見ても左をみてもシワだらけでslowly。で、国民全体で文化的、道徳的、キレイゴトごっこをという「クソどーでもいいこと」ばかりに執心している。基本、この国は社会主義的(結果の平等、修正主義的)なんだよね・・・。
 
アメリカのメシは「そらそうだよね。」という味でしかなく、さすがに食は中国に軍配がある。が、それでいいんだろう。とはいえ、日本のようにカウンターで皿と料理人をあがめるエンタメもほどほどにしておかないと、
 
「素晴らしいね。でも、過剰でムダじゃないの?」
 
でしかない。漁獲量は毎年減っている。供給も味も現場や職人次第という「サステナベリテー=簡便性・継続性」が皆無なことばかりやっている。中国共産党の喫緊の課題は「14億人の食料確保」と聞く。「一帯一路」にしてもその観点で言えば侵略ではなく経済活動だろう。世界において二面性は当然のスタイルなんだろうね。

プロフィール

株式会社レップワン
代表取締役 福田兼児

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