株式会社レップワン 代表取締役 福田兼児

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高松の栗林公園は有名らしく、たくさんの旅行者(大陸からの)がいた。

kagawa2.JPG  

今回の旅で、数年来行きたかったところにやっと行けた。

 

 ノグチ・イサム庭園美術館

 

世界的に有名なデザイナー。 「あかり」の作者だ。

丸み というのはその幼児性を表すらしいが、ホッコリの極地って言うんだろうね。

 

再度直島にわたってみた。このブログを見返してみると、どうも4回目らしい。

 

タイトルの

 見て、見えず。知って、知れず。

  Seen,Unseen.Known,Unknown.

はデ・マリアの有名な彫刻作品だ。

前回までとは違い、作品や場所を客観性、距離感をおけて見れた気がする。

 

・・・自分には、できない世界。

 ・・・自分とは、関わりのない世界からの訴え。

 

でも、なにか「わかる」気がした。芸術と言うのはヒトの根底に訴えかけるものなのだろう。

 

直島は高松から近いんだね。と4回めにして初めて気付いた。

 

結局、なんにも知らない、知らなかったんだよな。

それを知った時って、どうなんだろう。


毎年の年賀状。

ビジネスもなく、恩も縁も薄い相手からの頼みもしない家族の近況写真。

 

 「いや、関係ないし、興味もないし。」

 

マナーとしてのあいさつなら、相手のことを考えるべきじゃないかしら。

凡庸な報告なら不要。便りが無いのが元気な証拠。 年始早々自戒させられる。

 

 

手を変え品を変え、次の10年にむけた年始のあいさつ。

毎年書いていているが、我ながら「ヘー」と思う。

 

  経営層のフワフワ感

 

をいかになくすか。は重要だ。 夢と行動計画はワンセット。

 

 ノー モア ワーキング プア。

 昨年は遊んだ。今年はちょっとは働くぞ。

 

昨年11月頭に四十路となり、また逃げるように四国一周~呉で本州に渡るドライブをした。

 

shimanto_bri.JPG 

  四万十川の河口、中村市にある赤鉄橋。夜は情緒がある。

 

 

気になったのが、 「道の駅」 の多さだ。

  

 「田舎ってこんなオシャレなわけ?」

 

昼食をとるにしても、その制服にしても、道の駅だけあか抜けている。

建築しかり、内装しかり。 

shimanto2.JPG

 昨年のお歳暮キットの段取りを依頼した、道の駅 とおわ。

 オペレーションは地元の優れた企業、スタッフがやっている。

 

 

予算消化主義の行政が創るプラットフォームに、地元の店、人、作物を都会の感覚で入れ込む。

おそらく、コンサル会社とかがプランニングするんだろう。 変なブランド化、画一化を感じる。

すると、失われるのは、「田舎らしさ」だ。

 

 「都会ではこうだ、ああやってる。これが受けるんだ。」

 

 と。

 

田舎において成金ブランドショップはあり得ない。

 

でも、、

 

 「かしこまりました。」「承知しました。」

 

と。 ソフト=人間によるオペレーションはマニュアルで変えれる。

居心地が悪い。ここって田舎だよね?

 

 

 「ハイヨ~」
 「やってないねん!ごめんな~。」

 

 

でいいじゃないか。

 

バカな観光客がまた匿名でネットに書き込むんだろう。態度がいけてない。とか。

どーでもよくねが? 

 

 

今の日本は団塊世代が作った。文化がちょっとずつフランクになっている息吹は感じるが、リタイアした彼らが過ごすには、画一的でないといけない。年賀状みたいで気持ち悪い。

 

 「ほら、道の駅でモノ(お土産)もコト(食事など経験)も、な~んでも一括で揃うよ。便利でしょ?」

 

と、導かれるようで変な感じだ。

 

効率的だが、画一的。

 

個人運用の限界を超える何かが不自然。

もちろん、雇用も創出しているし、一定の貢献はあるんだろう。

田舎は田舎らしく。は、ごう慢なのかもしれない。

 

shimanto.JPG

 最後の清流。 らしいけど、いまいちピンと来なかった。

曇りの侘びかしら。 「黒尊川」とかまでいかないとダメだったかな。でも、運転めんどいし。

 

 

はっきり言って・・・

 田舎で評判のメシを食べても、味だけをとると都会の店にはかなわない。

 味覚は、嗅覚や視覚とあいまって感じられるんだ。

 

四万十川沿いで天然のウナギとやらを食べたが、味自体は「?」だった。

 ※大阪ではウナギはココが抜群にウマイ。

 

紹興酒が中国大陸だからうまいのは、街に中華のスパイスの香りがあるから。

日本で寿司がうまいのは、その清廉な雰囲気もあるのだろう。

 

 

土地には香りがある。

 それが田舎であれ、街であれ。 

 香りが無い土地は不気味だ。

 

 

田舎が、故郷を捨てた都会人のように気取る必要は無い。

生まれた里を大事にするステキな感性、価値観は勇気がいることだ。

虚構に虚栄心を満たす都会人よりよっぽどステキだ。

 

 

問題はそうやって、「田舎が都会人へのスリ寄り」をしてる体でお膳立てをしないと、人が向かない、ということだ。

 

 

都会、企業社会には本当の価値があるのか?

人生を削って働いて、競争して、何があるんだ?

もっと休んで、ゆっくり田舎を楽しもうよ。

 

とすれば、税金を使ってまで田舎で楽める環境をつくる強制はないんじゃないだろうか。

 

sadamisaki.JPG

 

年始そうそう文句を書いたが、佐田岬つけねの三崎港のこちらはオススメだ。

佐田岬では魚は一本釣りらしい。型のいい魚が安くうまい。


クリスマス、週末、年末ともなると歓楽街は喧しい。

 

 ・年収1,200万円超

 ・カイシャでの予算権限

 ・人生設計消化による残可処分所得計算

 

のタイミングで飲み方、カネの使い方が変わっていくのが面白い。 

23区格差 (中公新書ラクレ 542)

 

この本は面白かった。

筆者がデータとともに上げる「差」を鵜呑みにするのではなく、「モノの見方」を学ぶことに価値がある本だ。

 

 

比較をすれば「格差」だが、しなければ「個性」なのだ。

 

 

ある程度出世をすれば、

 

  「新地。新地。」

 

となるようだが、

粋でユーモアのある飲み方をする殿方は1割に満たないだろう。

 

中身があるようで全くない話、カラオケで騒ぐか、だらだらと居座り、我が話に終止する。ゲームセットはない。男の縄張り争いは花街でも繰り広げられるのだ。

 

 社交ってなんなんだろう?

 

7年ほど前、2008年に年商10億円くらいの派遣カイシャの社長が最大手通信キャリアの課長クラスを接待しているのに同伴した。痩せぎすの初老男性がヘルプ席に座り、上っ面の話に

 

  「ほぉ~、へぇ~!」

 

としているのを見て、

 

  「こうはなりたくない・・。」

 

と思っていた。

 

本音に切り込まない話は苦手。関係の根底に尊敬や認知があればもっと胸襟できて、スッキリした関係になれるはずなんだ。

 

 

私がご一緒する中で、「飲んでて気持ちいい、楽しい。」方は少ない。共に暴走しまくった1名の方とは立場の違いによってご一緒もできなくなってしまった。 

 

 

 「日本の新地、世界の銀座」

 

 

残念ながら、私も含めた8割の客は

 

 「都市銀行に口座ありますねん。」

 

みたいなもので、「ゴミ客」に過ぎない。それでいて大きな顔をしているものだ。 

 

脂の乗った課長クラスが企業においては一番大変。つまり、割にあわない。実務層のトップ。が、下級管理職。経営層にはほど遠い存在。

 

周囲の邪推をさわやかな笑顔でかわし、ライバルから頭ひとつ抜け、部長、本部長になると、また行く店、嗜み方も変わってくる。無論、肩書でレッテルを貼るのはよくない。社章をつけて騒ぐんだ。

以前は私も「社章」について書いていたし、作ったこともあった。

 ・・青春だなぁ。

 

 

なぜ自分より高い所得を得、太いバックがあり、不動産所得もあるであろうオーナーママに微々たるカネを落とし、刺激の無い話に愛想笑いをし、下手なカラオケにつきあうのだろう。

 

接待用歓楽街は

 

 「顧客を気持ちよく歓待するための施設、地区」

 

であって、自分で楽しむところではない。Barであったりクラブ、ラウンジによって提供される

 

 それぞれのステージ

 

 の

 

 主役は、時と場合によって変わる。

 

人間は誰しも、自分が主役になりたいもの。脇役となった場合、主役を汚してはならない。

 

 

相手が、店が培ってきたスタイルに注文をつけるのは野暮。かと言って無関心でもよくない。カネ出すからあとよろしく。という雑な対応もイケてない。

 

 

方便よく饗応する手段はないものかなぁ。

もう少し粋な社用文化ってないのかしら。

 

  「お疲れ様。お世話になってます。」

 

 もいい。が、客も店もが一体となった

 

  「もっとどうやって儲ける?」

 

みたいなギラギラした会話、時間。

 

 

私は普段TVを全く見ないが、先日旅先で、「ゴールデンタイム」のレベルの低さにビックリした。芸人がこれだけ流行るのは、くだらない抑圧 / 過剰要求 / 連鎖社会のうっぷんが、笑いと開放を求めるんだろう。

 

 

・・・カイシャ / シャカイで抑圧されてたらムリか。

 

 

どんなステージにも、「上演時間」がある。

 

 

主役を張れる時間も限られている。もっと時間を大事にしませんか?


10年来の付き合いのあるゲイが、2013年末から1年8ヶ月廃人となっていた。

今秋に見事復活し、快気祝いと久しぶりに食事をした。

 

 ・ウツ病は心の病かも知れないが、「心」と「脳」は違う。

 ・私は「脳」の病気だった。完全フリーズ。

 ・耳から入る情報は脳で処理が発生する。 目からの一次情報がきく。

 ・女性は曲線。直線の男性が理解しようと思っても不可能。

 etc

ゲイってのは、感情やしぐさは女性。

が、思考や肉体は、男性の理屈にもなる。

 

 ズルイよな~。

 

と思うが、同い年の彼(彼女)にハッとさせられた。


というキーワードだけふと思い出した。

 

平日の夕方から、知人とその子供を連れてUSJに行った。

 

当たり前だが家族ばかり。普段の都市生活ではそれらを視界に入らないようにしているのだが、40も超えると泣き声アレルギーも収まり父親の真似事をしてみる。

 

カラーバス効果でファミリーに目が行く。

社会全体で、

 

 「子を持たない成人」

 

はマイノリティ。 テーマパークでは圧倒的にマイノリティだ。

視点を変えると、

 

 「子を持たない親が、親気分になれる」

 

ところなのかもしれない。

 

 

母親を待つ間、女子高生から連れた2歳児、4歳児に「かわいい~」と声をかけられる。

が、リアクションがわからず変質者と間違えられるのが怖くて

 

 「他人の子を預かっている。」

 

と、母親が早く帰ってこないかとそぞろになる。

 

ここは、カイシャ、仕事という普段のステージとは違う、まさに 「テーマパーク」

楽しみ方、楽しませ方、おのおののステージがある。 

 

 父親の尊厳 / 自信

 両親の責任 / 負担

 

をあらためて知った。

 

 

カイシャで成果を、プライベートで愛と笑顔を。

 

 

とてもじゃないが両方できない。バランスの問題だろう。

 

 

 「フクタさんは子供だよね」

 

とよく言われる。

 

 「子」 の対義語が、「親」だとしたら、私はこのまま一生「子供」のままだ。

 

「子」 はいけないことなのか?

「評価」、「能力」 もあろうが、「適性」 「選択」 という結果でもある。

 

 

アトラクションのアイディアや仕組み、働くクルーのテンションやリアクションに素直に感嘆する。

パレードのアップテンポなビートとノリが、すれた大人すら笑顔にさせる。

知人の、母親としての笑顔、子の素直さがまぶしい。

 

  

その家族との別れ際に顧客から電話があり、夜半から北新地でご相伴する。

年末の金曜日の12時というのに、なんという客の多さ、盛り上がり。

誕生日だ、周年だと高いシャンパンがバカバカあいている。

みんなそんなに稼いでいるんだ。すごいなぁ。

 

 

かつては皆どんな差(性、身分、稼ぎ etc) も理解しない、できない、子供だった。

いつからか欲と偏見、自我とそのプライドにまみれた「大人」になる。

 

たとえ、「親」であっても。

 

 

図らずも知ってしまうのが、人の生。 親の意義は大きい。

自分の子といえど他人。

響きすら照れくさく自信もない私は、「親」には一生なれない / ならない。

 

 

ここ数年の視点、価値観、行動を子供らからあしらわれたようで、いい経験となった。



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