株式会社レップワン 代表取締役 福田兼児

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前置きが長くなった。何かの記事で
 
 
「隠岐諸島の観光ポテンシャルは高い」
 
 
と知っていたので、気にはなっていた。
 
 
調べると、伊丹空港から空路1時間ではないか。そこ(隠岐の島の西郷港)から1時間のフェリーで島前3島に着く。隠岐の島で入った居酒屋の主人が言っていたが
 
 
 「竹島に一番近いのは隠岐諸島。
  有事に備えて、ジェット機が降りれるよう隠岐空港は滑走路を延伸した」
 
 
と。
 
 
つまりその気になれば、東京からもジェットを飛ばせるはずだ。が、私が思うに隠岐の島(島後)は観光に力を入れていないのか、興味がないのか、オフシーズンだったからなのか・・・
 
 
 ・まず、空港から市内へのバスの接続が悪い、わからない。
  ※帰りの西郷港フェリー着時間から空港へのアクセスも。
 ・さびれているのだが、妙な自信
  (島にはなんでもある、というスナックのママの発言)
 ・一応、隠岐諸島で一番大きな島(面積、人口)という自負
 ・特産品ショップなどの不在(あるにはあるんだが、統一感がない・・・海士町比較で。) 
 
 
最終日に過ごした中ノ島(海士町)とは、ムードが明らかに違ったように感じる。

 

 

その海士町について。
 
 
若くてかわいらしい人が多いということに本当に驚いた。入り口である菱浦に観光施設が集中しているというのもあるのだろう。それにしても非常に興味深い島だ。
 
 
フェリー乗り場にあったポスターからして、
 
 
  「ないものは、ない。」
 

ama-town.gif

 自虐でもない、かわいらしいキャッチコピー。
 ※画像はこちらの記事より。
 
 
「お?」と思う。
 
 
 ①無くてもよい
 ②大事なことはすべてここにある
 
 
潔い本質追求。記事にもあるデザイナー梅原氏は確か、高知県物産のリデザインで実績を上げている方だったはず。また、先の町長が書いた本には
 
 
 ・地産地商(消費ではなく、商い)
 ・小さな利益より大きな利益を(ROI経営ですな。)
 
 
と商売の本質が書いてあった。率いる首長の姿勢、働きでこうも成果が変わるものか。彼がやったのは、町民の意識、価値観の変革と、自らの身を削り背中を見せる実践なのだ。
 
 
もちろん地商済み。地元の拠点、キンニャモニャセンターで買ったクエ。
 

amacho_kue.JPG
 
1.7kgで2,800円とか安すぎ!浜値いくらなんだろうか。漁協の力。コノコ(=バチコ)は後述の移住者が創った会社から。

 
飛行機に持ち込んで運んだので、当日に上がった魚を新鮮なまま自宅でさばいて夜にはクエの刺身と鍋に。大阪で食べたら1.5万円はくだらないのではないか。
kue_tabeta.JPG 

 

 

さらに検索すると、こういった取り組みが奏功しているらしい。宿は、こちらにお世話になった。女将さんは民謡を歌ってくれ、記事にもある一橋大学出身の方が三味線を弾いてくれた。民宿の女将さんに話を聞くと、
 
 「以前は本土からの研修生と婚姻を進めたこともあったが、うまくいかなかった。」
 
らしいが、考えてみるに、
 
 
 ・ライフスタイルのゆるい提案
 ・土着文化をそこそこ大事に
 ・温かいコミュニケーション
 
 
が現在の成功の秘訣ないだろうか。
 
 
帰りの船を待つ待合室で勉強していた女子高校生二人組、毎度手を止め、明るく「こんにちは」とあいさつしていた。
隠岐の島の繁華街で一緒になった松江のビジネスマン(Uターン)は
 
 
 ・島それぞれに文化が違う
 ・日本の将来の縮図がここにある
 
 
と言っていた。先にも言った、「都市は疲れるが、田舎は飽きる」+稼業への飽きもあり、私はよく旅をする。
 
 
 ・地方:漁業、工芸品に興味を持つ。
  
 ・民宿:ホテル、旅館など、大資本が展開する施設に泊まらない
   ※過剰な笑顔産業はしんどい。
 
 
をキーワードに。都会の花街や虚栄にカネを落とすより、よほど楽しい。
 
 
 「おもてなし」
 
 
が客人に受けるのは、個人主義の外人たちが、
 
 
 「WOW、布団ひいであるじゃん、なんでもしてくれるじゃん。」
 
 

 
 「3.プライベート」
 
な領域に入り込むサービスに、旅行中にだけ感動するだけのこと。日常には要らん。
 
 
 自力解決が当たり前の大陸系混在欧米人
  と
 相互扶助が当たり前の島国系単一日本人
 

では価値観が違って当たり前だ。日本においてももはや、
 
 
 ・地縁 / 職縁があってのおせっかいは、助け合い
 ・それが無いうえでのおせっかいは、過干渉
 
 
と、十分に個人主義になっているではないか。その点民宿は
 
 
 「着いたら布団引いてある。宿をちゃんと選べば、ほったらかし」
 
 
で、安く、うまいものを食べれる、たまに話も聞ける。


 ※民宿探しには、大手サイトでの検索ではなく、
 「Googleマップ+口コミ」が役に立つ。
  その土地を表示させて「宿泊」と検索したらポイント表示される。
 
 
さて、隠岐の西ノ島、中ノ島は電動サイクルで十分まわれる。
 
 
 ・利便性と効率を求めた都市集中
   or
 ・生き方と自然に従う地方分散
 

のはずだが、地方創生は悲しいかな「都市の標準」を向いてしまって、なんのこっちゃなことが多い。


 街の人、今の時代ってこんなこと求めてるんでしょ?


という怪しいコンサル屋が絵にかいた、取ってつけたようなもの。もしくは、資本が入って


 富裕層向け or 感度が高いとされるリゾート
 
 
がうやうやしくオープンするか。
 ※宮古島がいい例。あれは完全に上位中間層~富裕層向けリゾート地だ。
 
 
が、それは、田舎の人が自ら考えたことではない。田舎は不便だからこそ田舎で、そこにこそ魅力があるのではないか。田舎の日常の延長にこそ、「都会にはない何か」が潜んでいるのではないか。
 

 
海士町のような

 ・できる範囲で自ら考え、実行し、
 ・ムリの無い、自然体な島

を感じたのは初めてだった。
 
 
なお私は、
 
 

 ・仏事神事:意味と効果が、全く理解できない。

  ⇒先人の知恵というのはわかる。が、「ご利益」があるとしたら、等価で「災厄」もどこかでもたらされているだろう。「お参りや祀る」から「一方的にもたらされる」って科学じゃないヨ。求めたら、求められるんだよ。
 ※にわか信心と間違った方法でお参りしてもご利益あるわけないでしょ。映画とかで悪役が祈祷方法間違え、自分に災厄が降りかかってるじゃないか。

 
 ※そもそも神社仏閣多すぎ。全国に10万以上?歴史的にも、神仏習合なの廃仏毀釈だの、よくわからんことやってるし。八百万と美化するのはいいが、いかにも日本人(選択と集中が苦手)っぽくてやだなぁ・・と思う。まぁ地政学(極東の孤立)、地形的(平地が少なすぎて、山が多すぎて隣村との断絶)にも仕方ないか。

   

 ・地域地縁社会:いまさら必要じゃないし、そもそもいない。

  ⇒現代人はそこに頼らないために、家業⇒産業という形で技術と科学を発展させてきた。が、結局隣人とのアツレキは「階級」という名で、さらに新たに大きく、産まれた。
 

 ※そもそも、宗教なり地縁は、国体が脆弱で警察機能が弱かった時、その世界観を民衆の道徳心に訴える、植え付けることで民を統制する機能を持った。寺が戸籍や土地を管理したのもその一翼。が、近世ではその使命や機能を国民国家が持ち("国家神道"という名のオカルトは昭和初期にこの国民をどこに向かわせたんだっけ?)、現代ではITが担うことになった。と私は考えている。
 

 

・・・つまり、いまさらの宗教にヒジョーに懐疑派。
   「死後の世界?アンタそれどこで見たんや!」と思ってしまう。
 

 

たとえ私が、「短命で病弱で不運」だったとしても、それは「業(カルマ)でも不信心」のせいではなく、「遺伝と生活習慣と選択ミス」。だけの話。
 

 

戒名なんて死んでも要らん。だいたい買うモノじゃないだろ。今どき免罪符かっての。死んだ後の天国極楽より、現世での才能をくれ。と・・・
 


ド・狭量ではわかっているので日本国内で移住することは絶対にない。
 

「結局、どこに住んでも生きにくいよね」
 

 

とは、ネコになった明治の文豪も「草枕」で書いている。
 

 

智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 兎角に人の世は住みにくい。

 

か。で、安息の地で詩なり絵ができるようだが、それすらも売れなきゃ食ってけないぞ。生きにくいから隠遁して生活保護受けてます。ってそれも違うだろ。

 

 
 不便な田舎で、懸命に生きる。
 
  のか
 
 都会のシステムにのまれ、なんとなく生きる。
 
 
なら、私も100%後者であり、どっちがいい悪いでもない。
 
 
 一生懸命で、すがすがしいが、(相対的に見て)貧しい。
 
 
は、世俗にまみれた私にはいまさら不可能だ。
 
 
 YOU! 心がトッテモ貧しいネ!
 
 
と言われても、土着の地も執着する相手もないし、ほっといてくれ。だ。ともあれ一つのカウンターカルチャーとしての田舎の
 
 
 ・多くを求めず
 ・地域資産の創意工夫で商い
 ・自然な価値観の実践
 
 
は、効率化、分業化された一歯車としての都会人も「学ぶ」べきことが多い、特筆すべき島だと思う。
 
 
 
 ※前述の海士町 山内町長は今年で勇退した模様。
  http://www.town.ama.shimane.jp/topics/6000/16.html
   結局、「感謝と気合い」が必要ですか・・・。そうですか。
 
 

 

ps
西ノ島の摩天崖、中ノ島の明屋海岸は行くべきスポット。
ここにトレックを自然と共生して整備したら、素晴らしいんだが・・・
 ※カウアイ島のカララウトレイルとも並ぶ、本当にいい景色だった。
 

が、すでにアララ・・なテンプレート観光整備工事中。「不便」「不足」だからトレイルなんだけどねぇ。自販機いれてどうすんのさ。
 
 
整備が必要なのは、道路や設備じゃなくて、


 ・日本人の余暇意識(もっと自分で工夫して遊べ。)
 ・ 同  価値観(足を引っ張り合うな。ムダな同調をお互い求めるな。)
 ・ 同  労働力の配分(ホワイトカラーや因習をムダに作るな守るな。)


だと思いますけどね!


先日、東京出張時に時間があったので人形町から新橋まで歩いてみた。
 
 

 日本橋~八重洲~銀座~有楽町~日比谷・・・

 なんですの・・・このキラキラした街並みは。

 もはや東京は異国や・・
 

 

田舎者にはついていけないので逃げるように朝イチの飛行機で帰るのだが、臨海のタワーマンションの乱立・・。過密すぎるやろ・・

 

が、そこに利便性がある以上、より快適さを人間は求める。まるで、単一宗教観にとらわれた中世の人間のように。

 

 ルネサンス=なんとか回帰

 

が起こることはもはやないだろう。ハイセンス=感度高いっす!という名の単一万歳文化。おぇ。

 

 あると便利は、無くても困らない。

 

んだけどね。「都会と田舎」を論じた時、
 
 
 都会は疲れるし、田舎は飽きる。
 
 
という一言でも表することができる。
 
 
 ・都会の匿名性、消費に疲れるか
 ・田舎の実名性、無消費に飽きるか
 
 
結局はバランスの問題。全ては人間の感情が作り出す。今回訪れた島の町長が書いた、こちらの本を読んでみた。

 

たまに、町おこし本を読んで経営の参考にすることはある。キラキラ系は途中で読むのをやめることも多い。この本は飾ることなく、出自や地方自治の実態を書いておられ、最後まで読んだ。短いし。地方交付税と補助金をあてにした公共事業による先食い経営の限界を超える挑戦が記されていた。
 
 
 無垢であるがゆえに、既成概念に染まりすぎる田舎。
 虚飾であるがゆえに、にせイノベーションに走る都会。
 
 
どちらもどっちだ。誰しもが終末に向かっていることには変わりない。脱線するが、先日の「M-1グランプリ」、普段は見ないがつい見てしまった。近年の
 
 
 ・お笑い偏重
 ・好感度狙いタレントのお遊戯会
 

で、プログラムが成り立つのもさっぱり意味がわからない。たまにジムでTV放映を眺めるが、「これって誰が見て、何の得になるわけ?」という内容。もっと他に伝えるべきことがあるだろう。

 

 メディアの本質が、権力と広告主の犬であることは
 戦前の大本営発表鵜呑みスタイルから何ら変わりない。

 
 

 ・高度だが、非効率な日本語(オーヴァヘッドが多い)
 ・一様性、同調圧力(ムラ社会)
 ・ゆがんだ平等意識(階級社会、成功者を認めたがらないムード)
 

 

で構成される平和ボケの日本の現在が
 

 ・ガス抜きとしてのお笑い文化

 ・TVの向こう側にも味方がいるかも。
 

というニーズで独自発展したことは否めないだろう。が、
 

 ・庶民が、芸人やタレントに救いを求めるのは、
 ・サラリーマンが、ホステスに救いを求める
 
のと同様、見えない代償(時間、カネ)は大きい。

「笑い」「癒し」という搾取文化の頂点に立っている彼らの稼ぎは
 

 ・消費文化の「広告枠」
 ・同、接待交際費
 
 
を吸い上げ、

 

 ・視聴者も酔客も「客」

 

としか見ておらず、異常な値となる。

 

彼らが発する過剰リアクションとキレイゴトの裏には、ギャラ(現在、未来)という経済合理性が必ず動いている。
 
 
本来、視聴者なり被雇用者は自分たちの頭でも考え、発言、行動ができるはずなのに、他人とのアツレキを恐れ、空気を読み、横並び意識の結果、
 
 
 巧く(うるさく)表現できるタレントに託す
  
 
ことでカタルシスを得る。私からするとTVやPOPミュージックなど、
 

 

 ・愛だの希望だのただ叫んでいるだけ
 ・当たり障りないコメントで、仕事(時間枠)を確実におさえる
 

 

としか思えない。他人のお笑い、感動の涙、ってそんなに大事?

 

今どきのタレントはソコソコな高学歴も多い。事実と科学で論ずるならまだいい。ないないコンプレックスのタレントが世間に受け入れられて売れ出すと、文化人、教養人を気取りだす。が、それに簡単になびく民衆がいるのも事実。
 

 ※が、こう思えるのは
  ・叫んでもどうにもならない。
  ・あちら側にはいない。
  ことがわかっている「私自身の加齢」に依る。
 
 
本来、救いは自らの範囲の中に作り出し、自らの行動で示すべきである。
 
 
 ※M-1の優勝決定については

 「そろそろ、こういう(ジャマにならない)純粋な若者を入れておこう」

 という、既得権益側の作為、みせかけの懐の大きさを感じた。
  ※漫才という観点では 「和牛」の構成、話術が一番面白いのではないか。
   他の、「取りに行ってる笑い」は見てて、聞いていて疲れる。
 

 

ともあれ、ほぼ誰であれ、必ず淀む。その淀みをどう化粧するかだけの話。キラキラとしたキレイゴトについていけない少数派をこの時代、社会は寛容するのだろうか。

 

 

つづく。


先日、隠岐諸島を訪れいろいろ感じることがあったので書いてみようと思う。

今年、気づいたことがある。
 

 人間の接点とは、以下4つの面のいずれかにプロットされる
 

ということ。4に近づくほど私的になる。

==
 1.Public&Social
  公共、社会、地域。
  集団や大勢で創られる道徳、作法、価値観と自分との関係

 2.Business
  1.の中で、価値の交換が起こり、カネが前面で絡む範囲とその関係
  
 3.Private
  知人、友人、肉親、地縁。
  2より私的だが、実は2よりカネが絡む関係

 4.Privacy
  墓まで持っていく、自分自身のみの秘密
==
 

処世として

 

 「この人はここ」

 

とプロットしてみると、ストレスの軽減にもなる。それ以上の期待をしなくなるからだ。

 

当座の自分のストレスはたいてい、

 

 遠くの悪人より、隣の常識人(肉親含む)

 

だったりするわけで。

 

この他者への
 

 ・プロット(関係性)
 ・その共有範囲(共有が広がるほど圧力を形成する)
 

が、
 

 「時代 = 世間の圧力」

 

を創る。昨今の
 

 ・消費化(どんどん買いましょう、使いましょう)
 ・共有化(SNSなどでの相対化、同化推進、にせプライベート)
 ・都市化(都市が吸収、地方の空き)
 ・偏在化(富の連鎖:いわゆるマタイ効果)
 ・マネー化(なんでも値札つき)
 ・匿名化(ネット上でのやり取り)
 ・キラキラ化(ごく一部の美談のメディアによる過剰な持ち上げと忘却)
 ・デザイン化(結局は欧米コンプレックス。とはいえ純和風も・・)

 

などは、上記の2と3が前面に出たもので、それは


 「技術を背景にした、時代と感情の流れ」


であり、誰も止められない。
 

 

 「昔は良かった。」


など、
 

 

 その技術が世に浸透していないという前提でのたわごと

 

でしかない。なぜなら、
 

 文明の進歩に逆進性は、絶対にない。


からだ。
 ※我々の性癖が増えるだけで、減ることはないのと同じ。
 

人間の欲は常に、「より便利に、より豊かに。」を求めてきた。
 
 
が、あまねく情報化は、民衆に
 

 

 ・知れなかったこと 
 ・知る必要のなかったこと
 

 

を与え、同時に偏った情報収集術をもたらした。
本当に大事なのは、

 

 ・情報の中身(事実)

 ・それを判断する知性、品性

 

なのに。

 

処理能力のない民衆に、麻薬のような甘い情報だけを与えて同一化させるのはもはや情報軍国主義だが、歴史上それは覆らない。

 

そういえばこの本

 

 

 

は、昨今の情勢に疑問を投げかけていてリアリティもあった。が、


 「それって、加齢後の達観だよね?」


ともいえる。
 ※筆者もバブル真っ盛りは偏った時期があったと述懐している。
 
 
 「願いがかなわないと悟った時、人は残りの人生をどう生きればいいのだろう?」
 
 
とは、リスボンへの夜行列車のセリフ


 消費は、若者とカネ持ちの特権。


それは当たり前のこと。


 若さもカネも、消耗品。使ったら無くなるから。

 

だからこそ、


 「ココロ と カネ」


のどちらが大事かという二元論ではないことは筆者も述べている。


 「どちらも大事」


としか言いようがない。


 ・値札のついているものはなんでもカネで買える。
 ・ついていないもの(若さや想いなど)は買えない。
 

 

というだけなのだ。筆者の言う、
 
 
 「沈黙の交易」
 
 
とは巧い表現だな、と思う。

 

片手で沈黙を求め、片手でにぎわいを求める。

人間とは勝手なものなのだ。

 

その人間の消費自体は止めれない。

が、消費の「方法が変わったこと、ついていけないこと」を嘆く。

 

 

 カネ論者(変化だよね!)

  と

 ココロ論者(普遍だよね!)

 

は永遠に平行線である。
 
 
議論に価値はあるかもしれないが、両者が結論を共にすることはない。
 
 

つづく。


トランプ氏が大統領になった。

 

町山智浩氏のコラムが好きで、彼が紹介する氏の特異性を応援していた。

選挙ライブを見ていて、

 

 「Cool!」

 

とちょっと興奮した。

 

選挙結果も町山さんの言う通り、、東海岸と西海岸でわかれていた。

 

 リッチな海岸の都会民は青=民主党、

 プアで保守的な内陸は赤=共和党

 

が獲った。で、大統領はトランプ氏だ。

 

投票日前のトランプ陣営からのメルマガの量、内容たるや、

 

 「これがアメリカの選挙か・・」

 

と流し読みながらビックリしたものだ。

まったく文化が違う。移民、開拓、買収の歴史。

 

さて今回、

 

  「反知性主義」

 

が彼を支えた。というのはあるだろう。

 

オバマさんやクリントンさんの優等生的、ごもっとも平和主義的推移が、

 

 「キレイで平和だが、貧しい。」

 「なんで冠たる白人がこんな目に・・」

 「上から目線の優等生は味方じゃない。」

 

という嫌悪感を作り、他民族や国家をわかりやすく差別することで、トランプさんの票田になっていったのだろう。

 

 「自分より下」

 

というまったく根拠のない差別意識、「民族」「国」という変えようのないレッテルが自尊を満たす。

学歴や収入で定量化されると困っちゃうわけだ。

 

 「僕の出自はキミより下等だけど、優秀で、稼いでるよ。」

 

というのは誰であっても逆なでする。

 

かつて社会全体が

 

 「全員で豊かになっていく」 

 

が、だんだんとキュウクツ。で、ガス抜きがなくなっていく。

 

 「成長が止まった時、矛盾が生まれる」

 

ポストモダン、カウンターカルチャーと、反体制の波は定期的に訪れる。

 

一律化と多様化は相いれないのだ。

 

グローバリゼーションという一様化に対して、

 

 

 乱れているが、チャンスがある。

 

 

ほうがどこかワクワクする。

 

昔はルールなどなかったが、ネットによって共有が進み、それが目的となってしまった。

成長によって生まれた分厚い「総中流」ですら生活に苦労をするようになった。

 

 

結局、人間は欲で動く。

とどまることを知らず。

 

 

そもそも・・・

矛盾している人間(個人)がつくる社会など、矛盾にあふれているにきまっているのだ。

 

 

大統領が誰になろうと、「優勝劣敗」は続く。

 

そういえば最近疑問なのが、

 

 ・かしこまりました。

 ・承知いたしました。

とか、当社スタッフや世間から聞こえること。

「了解しました」だと不遜にあたるらしいが・・

 

 しょ~もな~。

 

その礼儀が、なんになるわけ?

いびつな上下関係を満たして儲かるわけ?

 

 

最後に、

 Mr.Trump hasn't drunk ever.
 because,He lost his father and his old brother by alcohol.

 

彼は、アイビーリーグ出身の、ビジネスの成功者でもある(何度も破産しているが)。

 

ビール片手の居酒屋談義でのどうでもいい、どうにもならない話をするより、自分の成功を考え、動こう。

 

失敗を許容する国家。国民性がアメリカの強さだ。

  

 Keep Gambling.

 Keep Taking Chances.

 

とは、ロジャー・コーマン氏がアカデミー賞功労賞のスピーチで最後に言った言葉。

 

 

結局は何が成功、幸せなのかが問題なわけだが、当社(私)においては

 

 バカでも、稼ぎ、カネを分配する。

 

ことが面白いな。と思ってきている。

 

ここ数か月ぼーっと過ごしていたので、来年にむけてそろそろ動き出そう。 かな。 

 

ま、一番大事なのは

 

 「知足」

 

だと思うんだけどね。


昼・・・

とある待合にいた。国会中継が流れていた。音声は無い。

 

 

代議士がかわるがわる拍手に送られ、お辞儀を繰り返して登壇し、何かを読み上げ、訴えているようだ。

 

 

代表質問、という儀式らしい。

 

 

ホワイトボードも、プロジェクタも使わず、重要ポイントへの焦点もない。

 

 

フム・・・

 

 

・ 会議とは、決めるところ。

・ 質問とは、正しい回答、正しい実行ができる人に対してすること。

・ 議論とは、解決方法を模索すること。 

 

 

ではないのか。グチなら家族にでも聞いてもらえばよい。

 

 

読みあげるだけなら、原稿をネットにUpすればよいのではないのか?

なんたる、没個性プレゼンテーション。

 

 

この、単価の高い方々は頭も良くて、志も高いのだろう。

が、時間の使い方が異常に変わっている。つまり、 「ヒマ」 。

 

 

と確信した。

 

 

彼らも、「つきあい」「慣例」で国会に参加し、それが執務のうちなのだろう。

関係ないであろう議員もたくさん会議に参加している。

まさに形式美である。が、お国の難しい問題なので、集合知が必要なのかもしれない。

 

 

彼らは、コトをややこしくすることに使命があるシステム=仕組みだ。 

決議を彼らにアウトソースする仕組みにゆだねているのは、我々国民だから文句を言っても始まらない。

 

  

一部の国民(当たり前だが、投票した人)の代弁者であり、

儀礼的で冗長的な彼らの合議による決定が、対立や戦争を生み出してきたではないか、と思う。

 

 ※持論

  「投票に行きましょう」はいい。

  「拒否します」という選択肢が無いのはおかしい。

  だから私は選挙に行かない。棄権=拒否ということなのだろうか。

  拒否の票数が、得票数を上回ったら無効でいいのではないか。

  代議士が、「有権者」ではなく「投票する人」へおもねる政策を生み出すのは当たり前だ。

  「一票の格差」は、世代人口の差にもありえるのではないのか?

 

 

 

さて・・・

アルコール禁なので、「つきあい」はできなくなり、「酒宴」を企画することも一切なくなった。

もはや、自爆的に飲むこともない。今後もない。

 

 

家で、餃子を包みながら考え事をしてみたり、

gyoza.JPG

 

近くのワインショップでオーパスワンの試飲ができるよ。と知人を連れて行ってみたり。

opusone.JPG

 

クラシックを再び聴きだしたり。

シューマン:ピアノ協奏曲&ヴァイオリン協奏曲

シューマン:ピアノ協奏曲&ヴァイオリン協奏曲

 やはり、これはイカス。

 

 

生活のルーティンが、全く変わった。

 

 

ヒマ。

 

 

なんだが、子供時代に戻ったようだ。

 

 

欲望、享楽、地位、カネ、みせかけの責任など、人生の添加物によって、子供は大人に変わっていく。

 

 

遁世的?

 

 

おつきあい全開だった会社運営、

なれあい全開の人生運営、

を変え、結果を出さないといけない。

 

 

ともあれ今年は、 島めぐり 、をしてみようと決めた。



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